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ZIMBABWE (1993.8.27-9.9) PART 2

ビクトリアフォールズ最終日、6時半出発の寝台列車に乗るため、5時半に同じトラックの仲間と待ち合わせしている時間まで完全に自由行動。ビクトリアフォールズにビールを持ちこんで崖に腰掛けて飲んでました。軽く風にふかれながら滝の音の中、すばらしい眺めとともに飲むビールはこの世のものとは思えず…。

列車は予定通りの時間に出発しました。なんと言ってもナイロビを出て以来、移動はいつもトラックだったので、トラック以外の手段で移動するというだけでワクワクしてました。バーがなかなか良くて長居してしまいました。食事はしませんでした。ケニアだとチケットを買うときに食事のクーポンも買わされるのに(そのかわり
ジンバブエと比べるとバカ高)。ちなみにこのときはビクトリアフォールズからブラワヨ間は6.5US$くらいでした。ただストップが多くてしかも急ブレーキで止めるので少しうるさかったですが。

翌朝6時半ころ客室にコーヒーを売りに来ました。頼んだらもう既にミルクまで入れてあってブラックが好き、というよりミルクを飲むと腹を壊すわたしにとってはなんだかなぁ、という感じでした。そのうえそのうえそのうえ、ちょうどコーヒーカップが私達の次の客室で切れました。売り子さんは落ち着いてもと来た方向に戻り、もうのみ終えた人のカップを返してもらい、ゆすぐこともせずにそのままコーヒーを注いで出していました。ちょうどその光景を見てしまったんですね。だからわたしはそれまでに一口飲んでいましたがもうそれ以上飲めませんでした。

ほぼ定刻通りブラワヨの駅に着きました。そして再びトラックに乗ってキャラバンパークに向かったのでした。
シティーオブブラワヨキャラバンパークはアフリカ1のキャンプ場、というふれ込みだったが、ほんとうにその通りでした。木々も多く緑豊かで日陰がたくさんあり長閑な気分になるところだった。トイレシャワーはもちろんのことなんとバスタブまで会った。バスタブは見た目は綺麗だったけど、さすがにみんながどのように使ってるか、わからないものだから、シャワーだけにしました。しかし清潔感のあるいいキャンプ場でした。

朝食後マトポスN.P.へ。ガイドのおッちゃんがなかなか味のある方で楽しめた。しかしビックリしたのはブラワヨというのはplaceof slaughterという意味だ、と言ってたこと(わたしの英語力ではそう理解しました。もし違っていたらごめんなさい)。そんな名前をジンバブエ第2の都市につけていいんだろうか?

N.P.には昔の人が書き残した壁画がいろいろと残っていて、そんな昔のものが今も残っている、ということに感動しました。わたしも死ぬまでに何か残せればいいんだけど・・・。

それ以上に驚嘆させられたものは奇怪な岩。少し地震でも来たらもうごろごろ転がってどうしようもないような岩が絶妙なバランスでたたずんでいます。なんか自然というものの力を見せつけられた気がしました。

夜は市内のレストラン“ゴンドラ”でディナー。隣にカウンターバーも有り雰囲気は良かったんだけど料理はもう一つでした。

翌日朝8時にテントをたたんで出発。ブラワヨ市内でちょっとの間ショッピング。とうもろこしの種で作ったシードネックレスが色鮮やかで綺麗だったんで、思わず買ってしまいました。公衆便所も有りましたが、大便をするときは入り口でトイレットペーパーを買わないと入れてくれないようでした。

10時ころにブラワヨを出て大ジンバブエ遺跡へ。途中食事したり、薪を集めたりしながら、4時ころ遺跡近くのキャンプ場へ。テントを張ってからグレートジンバブエホテルへアフタヌーンティーしに行きました。ケーキなども食べて請求書見ると、ティー6人前で25Z$。いったい一人前いくらやねん?みたいなね。まぁいいや、と思って払ってあげましたが。それからキャンプ場に戻って晩御飯を食べて、またホテルに行って、今度はバーで飲んで、とキャンプサイトとホテルを何往復もした一日でした。このホテルまでけっこう距離があるんです。夜は飲んだあと真っ暗な中ペンライトの明りをたよりに満天の星を見ながらキャンプ場まで歩きました。

翌日遺跡見物に。キャンプサイトから歩いて行くと神殿やミュージアムのあたりに突然出てしまった。神殿はやはり荘厳というか、独特の雰囲気を醸し出していた。写真なんかで見て思っていたよりもはるかに重厚で立派だった。ミュージアムでは遺跡の全盛期にはなんと中国とも貿易していたようで、アジアとのつながりがあることがどこか嬉しかったです。

その後丘の上の遺跡に登ったんですが、なんとジンバブエ人が未だに遺跡を作っていました(復元中だったようです)。サラピンの石を積み重ねながら。しかも軍手もせずに素手で石をバケツリレーのように渡して行ってました。中にはトスのように軽く下から投げるものもいたりなんかして。

そして遺跡見物終了後首都ハラレへ。途中インパラやゼブラバーガーあるレストランで食事。しかしそれらの動物が飼われているのも見れる仕組みになっているため、どうも注文する気にはならなかった。

夕方5時過ぎハラレ市内に入りました。バスセンターの前を通ると、プラットフォームが何本もあり、仕事帰りの人でごった返してました。そのあとクレスタロッジへ。5週間ぶりにホテルに宿泊。テントを張らないとなんか雰囲気が違って戸惑ってしまいました。ディナーはラマンボロッジへ。ゲームミートがいっぱいあってメ
ニューを見ているだけで楽しめます。私は前菜にクロコダイルテールを食べて、メーンはオストリッチにしました。どちらもおいしかった。嬉しくってあっという間に食べ終わってしまいました。デザートの飲み物もおいしくて言うことなし。部屋に戻って久しぶりのベットで熟睡しました。

翌日はメンバーの入れ替えの日で夕方まで自由行動。ショッピングに町に出ました。1時頃でしたがほとんどの店は閉まっています。昼休みなのかな、と思ってましたが考えてみればこの日は土曜日。ほとんどの店はその後も開かれることはありませんでした。だから少し遅い昼食を中華料理屋で取りました。ビジネスランチが
3US$くらいだったんだけどチャーハンとスープに3品付いていて満足できました。箸を使ったのも久しぶりだったし。バンド演奏がありましたが閉店間際に流れてきた曲はなんと蛍の光。日本のような…。そう言えば2000年を迎えた瞬間蛍の光を流しているところも有りましたが(たしかニューヨーク?)。

ハラレの町はこの旅一番の大都会という雰囲気でした。ナイロビよりもはるかに綺麗だし、都会だなァ、という感じがしました。土産物屋なんかも良かったしまるでヨーロッパにいるようなそんな町でした。日本大使館のビルも高層ビルだったし。

夕方5時から新しいトラックのメンバーと会った。この後4週間、大部分が南アフリカなので、治安状態を気にする人が多かったのか、今まで20人だったメンバーが10人に半減してしまいました。

そして翌日トラックの設備の説明をしていました。ここに水のタンク、ここに洗濯用の桶、などなど。そしてここに薪を取る斧やのこぎりが入っています、と言って開けた瞬間、中には猫がいました。しかも子猫が3匹。高さ30cm幅80cm奥行き60cmくらいのところに。最後にそこを開けたのは、と考えると3日前グレートジンルーインが最後ということで、どうも子猫はほんとうに生まれたてらしく、ひょっとしてこのトラックで生まれたのか、などといいながら、キャットフードを買いに行ったり、牛乳を上げたり、もう説明などどっかに行ってしまってあわただしく猫の世話をしていました。

そして30分ほど予定から遅れて出発しましたが、客がいきなリ半分になってしまったのでトラックがやけに広く感じ、嬉しいやら、仲間が少なくなって寂しいやら、変な気持ちで残り4週間の旅が始まったのでした。

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