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今夜の番組チェック

ZAIRE (1993.8.2-5)

ブルンジ−ザイールのボーダーではザイール側でトラックの中まで入ってきてチェックがありました。ここまでは出入国カードに記入してリーダーに渡すと勝手にやってくれて、写真との照合すらないこともあったのに。

しかしザイール。
アフリカ縦断を目指すパッカー(私はパッカーじゃ有りません)にとっては特別な響きを持つ国ですね。西アフリカと東アフリカを結ぶ肝炎街道(マラリアロードとも)の主要ルートです。なんと言っても道の悪さは特筆物でしょう。もちろん舗装なんてされてません。しかも熱帯雨林です。よく雨が降るから下はジュクジュク。車のよくスタックすることすること。そして逃げ出すためにいろいろやるから余計穴を大きくしてしまいます。マナーのいい人なら出たあとで穴を埋めるんですが、カラッと道が乾くことがあまりないため無意味です。逆に穴の跡がわからなくなってスタックさせやすくしてるだけかも。しかもそういう道だからみんな出来るだけ大きい車で行こうとします。だから余計道を傷めます。

しか私の通ったコースはそのルートから遥かに南にあります。もちろん道は舗装されてません。ただ山道だったため道はちゃんと乾いててその点は良かったです。その代わり砂埃がひどかったですけど。対向車がやってくるじゃないですか。冗談じゃなくホントに砂煙といっしょにやってきます。私はすれ違いそうになるとキツク目を瞑り息を止めていました。次回ここを通るときにはマスクと目薬を絶対に持ってこよう、とノートにメモしました。

そのうちブカブの町を通過したんやけどさすがにメインストリートは舗装してありました。でもどこからどこまで舗装してあるのかはわからんかった。だってアスファルトの上にさえ土がたまってるんやもん。

そしてカフジのキャンプサイトへ。寒かった。カフジビーガN.P.ですることと言えばたったの一つ。ゴリラトレッキング。朝8時過ぎから出かけました。今回は近くに泊まってたからルワンダのときのように5時起きなどということもなく体調も絶好。山の中もルワンダと比べて枯れている木などもまるでなくいい雰囲気だった。

ところがねぇゴリラ見つかりませんわ。途中でガイドも焦り始めたんやけど。ルワンダのガイドは持ってたトランシーバーも持ってなかったし。ここに糞があるからもう近くに来てるはずなんだ、とかいいながら、途中ガイドが何か見つけた雰囲気になったと思ったら野犬の群れ。思いっきり吼えやがってうるさいうるさい。こっちもゴリラ見つからずにイライラしてるときだったから、少し期待した分疲れが増加しました。

ガイドが山を降りて他のグループにゴリラを見た場所を聞きに行ってやっと見つけました。所要時間なんと5時間。本当に見つけたときはうれしいよ。遠くの緑の中に少しだけ黒いものが動いてるんよ。ここのはシルバーバックで威厳は有ったんだけどすぐに威嚇してくるし愛嬌も可愛げも何もなかった。それにルワンダのときは私達が座るとガイド達まで座ってたけど、ここじゃ前に2人銃を持ったやつが並びそのラインより前と横に出ることはできず後ろにも一人居た。ルワンダのときは大所帯だったけどザイールは一家族だけ。ただ木登りは本当にうまかったね。スルスルスルっと10mくらい簡単に登っていきます。ルワンダのときも登ろうとはするんだけど腐ってる木が多いから3mくらいで折れてしまう。   キャンプに帰ってくると他のグループはゴリラを15分で見つけたそうな。それを聞いてどっと疲れが出てしまいました。

補足:ゴリラトレッキングの現状について
はっきり言ってあんまりいい状況にないでしょう。なぜゴリラトレッキングが始まったかというとゴリラ保護のために必要なお金をゴリラによって儲けよう、ということでもありました。 トレッキングが始まりました。ゴリラがけっこう病気になりました。人間が来たストレスもあったかもしれないけど、それよりも人間が持ちこんだ病原菌がね。風邪、とかその他の病気がゴリラに伝染したらしいです。だから公園閉めてゴリラ治療して。再開するときにはまた道再整備して。とかでそうとう金かかってるらしい。
それにゴリラの生息地域がキブ湖の西からウガンダ、ルワンダ、ザイールの国境地帯くらいまでだから紛争がねぇ(ウガンダで今年ゴリラトレッキングしてた白人連中が捕虜になったしね)。
ルワンダ内戦のときもケニアの新聞に、ゴリラの危機だ!とか載ってたけど、これからどうなって行くんでしょう。

次の日は午前中キャンプサイトから下りてブカブで買出し。銀行に行って両替してお金をデイパックに積め込んで…。なんせ一番大きい札が50000ZFr。フランスパン1本が1000000ZFr。どんな大きなフランスパンかと言うとごく一般に見かける大きさです。そういうことです。とんでもないインフレだったんです。
(インフレの理由は良く知りませんが、あくまでも噂ですが、当時のモブツ大統領が親兄弟、親戚、自分の仲のいいやつに印刷させたお金をどんどん配ってたらしいです)。
だから一番ひどいときには札束をはかりに載せて重さ計って品物と引き換えてたらしいです。5000000ZFrの札も発行されたらしいです。そして12月にデノミです。だから1ZFrなどの小額紙幣やコインはお土産として1セット1US$で売ってました。

ちなみに私はザイールでは両替しませんでした。トラックサファリしてたらお金を使わないでおこうと思ったら全然使わなくてもいいんです。実際いつもは新しい国に入るとすぐに両替の時間が有ったのに今回はなかったし。1日でレートがどんどん変わって行く国だから払われるほうもUS$もらってたほうが安心でしょう。

車の中古車工場があったけど今回のトラックサファリで行った11ヶ国の中でダントツで車が古かったね。物持ちがいいというかなんというか。

さてキャンプに帰って夕方からは近所のピグミー村見物。
本当に観光客慣れしてる人達でした。私達が行くと一列に並んで迎えてくれます。写真を取り始めるとダンスが始まったり・・・。 しかし子供達はデベソが多かった。アフリカの子供達は多いよね、デベソ。
だいたいの家が壁は泥やったのに一軒バナナの皮で編んだだけの家もあった。夜は冷え込むと寒くないんやろか?単なる物置かもしれんけどね。中は見れなかったから。

夜はザイール人がバナナ料理を作ってくれた。今日でここもおしまい。明日はまた国境越えだ


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