スワジランドから南アに抜けるイミグレでは、南ア側に行くと、ジンバブエから南アに入ったときには、リーダー
がみんなのパスポートを持っていくと、まとめて通してくれたが、今度は一人づつ手続きしなければならなかった。窓口には黒人さんがいてパスポートナンバーや名前を入力して、パスポートにバーコードの付いたシールを張ったりしていた。ここまで南アでは白人と黒人が仕事まできっちり分けられていることになんか嫌な気がしていたので少しほっとした。
それからエルメロのキャラバンパークへ。途中日が暮れてからエルメロの街中を走ったが、車もなく綺麗な町に街頭の明かりだけが滑走路のように整然と並んで燈っているのでありました。
朝起きてキャラバンパークの近くを散歩すると、ゲートを出て右に小さな池があった。水鳥たちが水面を滑走路のようにして飛びまわっていました。朝からすがすがしい気持ちになって出発。
今日は首都プレトリアへ。するとウットバンクから少し行ったところにすごく大きなスラムが見えた。2日前見たスラムは小さな物が点在している感じだったが、今回はドッカーンと一つものすごく大きなかたまりだった。その隣には白人が住んでいるであろう家が立ち並んでいた。
プレトリアに着くとまず丘の上に鎮座するフォアトレッカーモニュメントへ。アフリカーナー達による建国を記念するモニュメントらしく、1949年の除幕式には丘になんと25万人ものアフリカーナーが集まったとか。だからというわけでもないですが本当に壮観の一語。内部は完全に吹き抜けになっていて、階段を上っていくと展望台になっている。そして壁にはアフリカーナーの歴史がレリーフとなって張り巡らされている。しかしアフリカーナーにとっては非常に感慨深いものが有るんだろうけど、黒人はこのモニュメントをどのように思うんだろうか?と思わないでもなかった。
そのそばに博物館もあった。昔のプレトリアの様子が絵や人形でわかりやすく説明してあった(んだと思う。当時の私の英語力ではよくわかりませんでした)。それから市内中心部へ。凄い。まるで日本のよう。建物は大きいし、綺麗だし、そのうえ電気ギラギラ。ロードマップを見ているとダーバンやケープタウンのほうがはるかに複雑そうだったんで、首都というだけの首都なのかな、と甘く見ていました。高級そうな店もまたしても多く、自分で手洗いしているために少し汚くなってきているTシャツに、この旅でまだ一回くらいしか洗っていないジーンズの私には入るのが気を引ける店が多かった。

それから町から12km離れたポルカドライキャラバンパークへ。途中スクールバスに出会ったがほとんど白人の子供たちなのに数人黒人の子供達も混じっていた。これはアパルトヘイト廃止に伴うものなのだろうか。そもそもアパルトヘイト時には本当に完全に黒人と白人を分けていたのだろうか。本などを読むとそういうことになってるんだからたぶん分けていたのだろうが、そこまで完全に分けきれるものなのかがもう一つ納得できない。しかし子供達は黒人も白人も一緒になって、私達のようにトラックの荷台に汚い身なりをした
白人らが乗って旅しているのは珍しいらしく、こちらを見ながらなんか笑っていた。
さてキャラバンパーク。首都の様子が良かったし、昨日のエルメロのキャラバンパークも悪くなかったので期待していたら、最悪でした。小便用トイレは本当にもう数ヶ月は洗っていないかのように汚れていた。もちろん水も流せなかったし。気分転換に5時頃からその辺を散策。ジュースでも買おうかな、と思って。キャラバンパー
クのあたりで道を歩いているのはほとんど黒人だった。もちろん車に乗っている黒人もいたが、車に乗っているのはやはり白人のほうが多かった。ついに店を見つけたんですが、店の周りに黒人の人だかりができていたので、さすがに一人で近づく勇気はなくあきらめました。南アフリカに入ってからというもの、白人と黒人間の貧富
の差というものを思い知らされているので…。
朝8時にプレトリアを出てジョーバーグへ。約1時間で到着。さすがに危険なところらしく、市街地に入る前に窓際に置いてあったものをすべて片付けて、ロッカーにまできちんと鍵をかけた。この旅でここまでしたのは初めて。少し緊張感が走る。市内を歩くときもできるだけ群れて歩くように、と注意された。

トラックを市街の南端に止めて、北のほうに歩いて行った。なんやかんやと面白いものが有った。ジーンズの露店売りも出てるし、公園では散髪屋も店を開いていた。東アジア系の兄ちゃんが道で小物類を売ってたり。
ヒルブローのほうには中国人街のようなものがあり、中華料理のテイクアウトの店や、中国物産店が固まっていた。非常に活気のある面白い町で、フリータイムが2時間半しかなかったのが悲しかったゲームセンターもいくつも有った。アフリカに来て以来初めてだった。
駅周辺は雰囲気がヤバそうだったし、公園なんかでも危なそうだなァ,という目線を感じましたが、襲われたりすることはありませんでした。
そして12時にカールトンセンターに集まって、ガイド付きのバンでソエト見物に出発。もう少しヨハネスバーグから離れているものだと思っていた。ソエト蜂起の記念碑の前で説明を聞き、近くの肉屋で記念写真を撮った。写真を撮るときにはあたりから人が集まってきて30人以上が一緒にカメラに収まった。この写真はたぶん後で買わされるんだろうな、と思っていたが、その後何もなかった。ということはなぜ写真を撮ったんだろう?まさかあの、写真を撮るときに集まってきた人達のため???
その後学校なんかにも行ったりしたんだけど、こざっぱりした家が続いていた。蜂起のあったところだから、もっとスラムっぽいところと考えていただけにビックリした。しかし観光客目当てのツアーで、そんなにひどいところを見せないのは当然だろうけど。ただ町には白人は全く見かけなかった。そんな中を綺麗なバンに乗って回っている私達を、黒人たちはどのように考えてるんでしょうか?ガイド兼運転手は黒人だったんだけど、考え方によっては、当時の白人政権の宣伝マン、とも言えるのかもしれない。
ツアー終了後キャラバンパークまで送ってもらったが、いくら探しても私達のトラックがない。なんでなんやろう、と思って入り口のゲートで座ってたら看板に“NO
HEAVY VEHICLE"と書いてあった。私たちのトラックはここには入っていない,ということだけはわかったけど、じゃぁ、どうしよう、と相談しているうちに私たちのトラックがやって来た。キャラバンパーク違いだったらしく、アドベンチャーキャラバンパークへ。非常に久しぶりにバーで飲んだ。夕食後も再びバーに戻りさらに飲んだ。
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